代表親方 奥田とは一体どんな人間なのか?

塗装歴約40年。出来るのはこの仕事のみです。

塗装歴約40年。趣味は仕事と野球。
平成4年、京都市西京区にて奥田塗装創業。

塗装歴約40年。出来るのはこの仕事のみです。

京都市左京区生まれで保育園の年長さんのとき京都市右京区に引っ越してきて、小学校入学までの一年ほどは、引っ越し前から通っていた北区の保育園に通園していました。保育園の5歳くらいまでは薄っすら記憶がある程度。その謎が解けたのがごく最近で、小学生からの自分の生き方を眺めてみると何となく理解することができます。三つ子の魂百までです。だからか‥



小学校へ入学後のことを思い起こすと何となく理解できます。それは対人関係で、対人関係と聞くと子供だから上手にできなくても仕方がない。大人になるに従って次第に上手になっていくのだろうと思われますよね?私もそう思っていました。

 

私が小学校1年から学校に通って思ったのが、学校へ行くのは嫌だな、あまり進んで行きたくないな、でもみんな行っているから仕方なく学校に通っていたのです。これは多くの子供が考えることかもしれません。でも親に言ったところでそんな事言わないでサッサと学校に行きなさい。そう言われるだろうと思ったから1度も親に言ったことはなかったです。

 

月に1度くらい風邪をひいて学校を休みます。風邪をひけば休める、内心そう思っていたのか定期的に体調を壊し高熱を出して休みます。なぜそんなに学校へ行きたくないのかというと、話をするのが苦手だったからです。でも喋れないわけではなく、言葉を発することもできるし大きな声も普通に出せます、でも話せないのです。



話そうとすると頭に浮かぶのが、これを話すとどう思われるか、そう思うと別に話さなくてもいいか、そんなに重要なことでもないし、今言わなくてもいいと思うと、思ったことを口に出さずに自分の心にとどめるのです。



クラスのみんなは、いろんなところでいろんな友達といろんな話で騒いでいます。でも私はその会話を横で聞いているだけで、話に加わる事ができないのです。ま言わなくてもいいか、そんなに重要でもないし面白くもない話だから、自分が話さなくても他の人が話した方がいい。聞いているだけでもおもしろいから、内心そんな事を考えて友達の話を聞いていることが多かったです。

 

休み時間にグラウンドへ出て遊んでいても、大勢に混じって遊んでいるかのように見えますが実際よくわからない。次第に大きなグループから2〜3人の少数グループと話すようになっていきます。



話すというよりは殆ど聞いていることが多かったです。でも一緒にいて慣れてきた友達とは話ができるようになっていくのです。学校へ行って授業を受けるとき以外は同じグループで過ごすことが多く、出来るだけ話さなくてもいいように無意識にお喋りな友達を選んでいたようです。



そんな人見知りな私も授業が終わり校門を一歩出ると、自由を得たように帰宅後カバンを置くと一目散に遊びに行くのです。近所で遊んでいるときには学校では見せないような大きな声で言いたいことをいって楽しんでいる姿がありました。

 

なぜ学校へ行くと思ったことが言えないのだろうか?どちらが本当の自分なのだろうか?私は正直、帰宅後の自分の方が好きだったので、学校へは出来るだけ行きたくなかったし、授業が終わればさっさと帰宅し自由に遊んで居られることが幸せだったのです。

 

学校に行くと常に周りの視線、存在を気にしてなぜか肩に力が入ってのびのび過ごせない。でも自宅に帰ると自然に過ごせる自分がいたのです。私は学校では常に遠慮をして生きていたことに気づきます。

 

この経験は中学校へ進学しても基本ベースは同じです。慣れるといいのですが、常にある一定のところでしか自分を表現できなかったのです。

 

この状態を不自由に感じていたことは確かですが、学校以外のところでは不自由しなかったので深く考えることはなく、誰かに相談することもありませんでした。

 

自分を受け入れて無理をしないで生きていくようになります。でも思いましたよ!なぜだろう?この状況から開放されたらどれだけ楽だろうか!チャレンジしようともしました。でもいざとなると声を発することができなかったのです。



勉強は全く興味がなく、勉強したいと思ったこともありませんし、学校から帰って机に向かって勉強したこともありません。子供のころから野球が好きでしたがあまり知らない人が大勢集まるところは苦手で、チームに所属することもなかったです。

 

一般的に小中学校では毎年クラス替えを繰り返すと思うのですが、小学校低学年なんて誰と接していたか覚えていないです。学年が上がるに従って接する人は増えていったように思うのですが。

 

1度クラス替えがあると1年間は一緒に学びますが、話しかけられないとこちらから話しかけることはないので、クラスで一度も話したことがない人もたくさんいます。1クラスに40人いたとすると、半数以上は会話したことがない。日常的に接する人は10人もいなかったかもしれません。私はそんな狭い世界を築いていたのです。

 

同性に話かけることが苦手なので、当然女子に話しかけることはありません。かわいい子もいたし好きな子もいたのですがうまく話すことができない、おもしろいことも言えないとおもっていたので話しかけることができなかったのです。

 

ところが場所が変わると違います。小学生のときから近所ではモテモテでたくさんの女子と浮名を流したものです(笑)今日はあの子と明日はあの子と遊んで、、不思議です。なのでモテるベースはあったのでしょう、そう信じたいものです(笑)

 

でもただ大人しいだけでは無いことも理解していました。勉強ができるわけでもスポーツができるわけでもありませんが何かあれば、ここぞというときには自分を発揮できる事もわかっていたような気がします。だから嫌な学校に行ってもあまり深刻に考えない性格にも助けられて楽しく生きることができたのです。



そしていよいよ中学を卒業するのですが、勉強は一切やってこなかったので進路は限られてきます。

 

それでも新しい環境へ飛び込む勇気も無く、多くの友達が進む専門学校への道に便乗し、本当に自分が進みたいと言えるほどの道も勇気もなかったのです。



しかし先生から学力が伴わないと言われて導かれるように就職、どんな仕事を選べばいいのかもわからず勧められるまま、メニューを注文するようかのように軽くノリで決めます(笑)そのとき選んだはじめての就職先が塗装職人の仕事だったのです。

 

正直、仕事には全く興味はなく自信がありませんでした。就職先を決めないといけない状況で働けば給料がもらえるので就職したようなものです。何の目標もやり甲斐もなく塗装職人の仕事を始めるのです。



卒業後、中学まで過したすべての繋がりから離れ、15歳ではじめての環境で生活をスタートさせます。

 

さて、どうなるのやら‥‥




塗装職人としてはじめて社会へ出る   

 

ただ毎日仕事をするだけのつまらない日々の中で、唯一楽しかったのが新鮮な環境での寮生活です。何もわからない世界で仕事をして過ごす時間、何もかもがはじめて見る世界、少し歳上の先輩方とはじめて過す大人の世界。新鮮で背伸びをする毎日の体験が楽しかったです。

 

その楽しさとは裏腹に、早朝叩き起こされて寮の行事を終え朝礼後に車で乗り合わせて建設現場へ、当然人見知りの私は話すこともなく、早朝から起きているのでいつも居眠りをします。

 

建設現場で毎日ドロドロでへとへとになって仕事を終え会社に戻り、職人さんみんなが帰ってくるまで待って最後まで片付けをし、寮で夕食を済ませ風呂に入るともう時間は遅くなっていた。

 

そんな仕事でも私は嫌いではなかったです。人見知りで話をするのが苦手な私でも積極的に話をしなくても作業をすれば良かったからです。先輩から仕事の指示を受けて打ち込むことができたからです。人相手ではなく建物、天井や壁、モノが相手だったので人見知りでコミュニケーションが苦手な私にはピッタリな仕事だと思っていたのです。

 

でも唯一嫌だった汚れること、汚れること自体は自分が我慢すればいいのですが、顔や手が真っ黒に汚れて作業服はペンキまみれで外を歩く、その格好でいろんなところへ仕事に行くのです。学校の中や繁華街を歩き同年代の視線を受けるのがカッコ悪くて恥ずかしくて、下を向いて隠れるように歩いていたのを覚えています。

 

そんな生活が1年ほど経過しても殆ど毎日が掃除の仕事ばかり、後輩が入ってき徐々に変化してはいったものの、正直私が思っていた塗装の仕事とは全然違ったのです。



2年生になって1年生のときと比べると掃除の頻度は徐々に少なくなっていったものの、できることは掃除、下地の磨きなど大半が汚れる嫌な仕事で、毎日頭の先からつま先まで真っ白か真っ黒、誰もがやりたがらない仕事がすべて私たち若手の仕事です。

 

寮には風呂がなかったので、仕事から帰わって銭湯で私たちが銭湯で体を洗っていると、いつも泥のような水が排水溝を流れるので他のお客さんがいやな顔で見ていたのを覚えています(笑)

 

2年生になっても3年生になっても、入ってくる後輩のほとんどは私と同い年か1つ2つ上、ほとんどの後輩は職業訓練校や高校卒、先輩もみんなです。なので同年代の学生を見るといつも羨ましくて勉強しなかったことを後悔し悔やんだことか。でもしょうがない、勉強したくなかったしやりたいとも思わなかったのだから。



仕事をはじめて3年ほど、あるキッカケから全く見ていなかった外の世界に興味と憧れを抱くようになる。学生や仕事もしないで遊んでいる奴、別の仕事をしている仲間のことが羨ましく見えてくる。



ずっと仕事と寮の仲間との接触だけで生きてきて、遊び、別の仕事、色んなことに興味を抱き始めて、毎日ドロドロになってやってきた塗装職人の仕事から別の仕事へ変わることを選び、3年お世話になった塗装職人の仕事を辞めて寮を出ることになったのです。

 

若いわがままな私は、もっと良い世界があるに違いない!そう思って疑わなかった。本当は全く何もわかっていなかったし、とにかく全ては自分から逃げる言い訳だったと思います。

 

車に乗るのが好きでトラックの運転手に就いて、塗装の仕事より汚れないし給料も多少いいし良い事尽くめ。そう思いながら働き始めて3ヶ月くらいが経ったころだろうか

 

その仕事には毎日18時〜19時、19時〜20時くらいに、積み込みまでの待ち時間があって、それを待っている車の中で、急に俺はこんなところでいったい何をしているのだろう?ボーっと何も考えないでいるのだろう?これ楽しいのか?

 

毎日同じことを繰り返して、夜になるとボーっと待っている。ひとりでおもしろくもないし退屈でつまらない。こんな仕事がやりたくて俺は塗装の仕事を辞めたんじゃない。そう思ったらだんだん自分に腹が立ってきた。

 

塗装の仕事は毎日ドロドロでヘトヘトになるまで働いて、カッコ悪くて恥ずかしくて給料は少なくて何も良い事なんてないはずなのに、塗装の仕事をしていたときのことが頭に思い浮かんできて、また塗装の仕事がやりたいと思うようになったのです。なぜかはわからないけどいてもたっても居られなくなり、もう一度塗装職人の仕事をやろうと思ったのです。

 

あのとき、あんなに自分の中でバカにしていた塗装の仕事、毎日早朝から働いて変化が起きるのが楽しかった、今日はどこへ行って仕事をするのだろう!眠くても内心は変化にウキウキしていたのかもしれません。

 

朝起きて寮の掃除から始まり、車の車内掃除から現場に行っても掃除、カベの掃除からクモの巣の掃除、サビ落としから、下地磨き、掃き掃除、掃除ばっかり。朝から晩まで掃除の連続で塗装屋らしいことなど1ミリもないのに。

 

よく叱られて不貞腐れて反発もした。でも毎日仲間や先輩と一緒に仕事をして、いつもお互いの汚れた顔を見て笑ってた。

 

建築現場で掃除をしてきた3年間、たくさんの塗装現場に行って掃除をしながら職人さんが何をしてどんなふうに仕事をしているのかが気になった。できるだけ早く自分の仕事を終わらせて職人さんが居るところへ行くと職人さんが塗っているところを見学できる。

 

職人さんの仕事を見るのが大好きで早く職人さんのように塗ってみたい。職人さんが休憩しているとき塗ったあとの仕上がりを見て、うわーきれいになるな!職人さんが下地をして自分が磨いたところがきれいに塗られていくのを見ると嬉しかった。職人さんの横でジッと仕事の話を話を聞いているのも大好きだった。

 

これまでのことが蘇ってくる。

 

このとき塗装屋を離れてはじめて塗装の仕事の楽しさに気づいた気がする。でももう後戻りすることはできなかった。そのことに気づいたのが18歳の夏です。

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